個別性の看護とは何か分からない
個別性の看護ができない
この記事では、このような悩みを解決します。
どうも、2年目看護師のよんくれです!
みなさんは看護をしていて、
「自分の看護が患者さんの役に立った!」
と自負することができますか?
私は1年間仕事をしてきたにもかかわらず、自分の看護が患者さんの役に立てたというような実感を持てたことは少ないです、、、(涙)
※リモコン取って、オムツかえて、など初歩的なことならできてますよ!(笑)
というのも、私は業務を覚えることや業務を回すことに精いっぱいで、自分の行っていることが看護なのか分からない時期がありました。
自分のできる看護とはなにか、考えて悩む日々。
そのなときに、ある患者さんからの一言と、先輩からの言葉で自分の看護に自信を持つことができました!
今回はそのエピソードについてです。
私が行う日々の看護?
普段の私は、先輩から
「仕事が遅い」「業務効率を考えて」「優先順位は?」
と看護以前に業務について指摘が入ることがかなり多かったです。
そのため、患者一人一人に行う看護を考えるよりも、業務をいかに回すかについて考えることが多かったです、、、
それでも1年目の後半になると先輩からは、「業務ができて当たり前」という雰囲気を出されたので、個別の看護についても考えるようになりました。
この人には何が必要か、私には何ができるかということを少しずつ意識した、つもり(笑)
それでも、私の考えは
「自宅退院予定だからリハビリを頑張って朝夕の2回しようかな。」
「日中起きてもらうため、足が冷えてるから足浴をしようかな。」
「年齢がまだ若い方なので再入院がないよう指導を行おうかな。」
これぐらいの考えしかできませんでした。
この考え方は個別の看護としてあっているのか?
そんな疑問が自分の中にあったことを今でも覚えています。
しかし、ある患者の一言で自分の看護が間違っていないことを知りました。
患者からの一言
ある日、いつものように日々のケアを行ていました。
その後下肢の清潔ケアに加え、時間があったので足浴を提案し実施することに。
すると、患者さんが
「いつもよくしてくれてありがとうね。すごく忙しそうなのに、こんなことまでしてくれてうれしいわ。あなたのおかげで元気になれそう。ほんとありがとね。」
これを聞いて私は嬉しいのと同時にびっくりもしました。
自分の中ではいつもと同じようにケアの予定を立て、実施しただけです。
それでもうれしいと喜んでくれた。
この時、私は足浴をしたことがうれしいと思い込んでいました。
このことを先輩に伝えると、別の言葉が返ってきました。
先輩の一言
1か月の振り返りで、先輩に個別の看護ができないこと、足浴でありがとうと言ってもらえたことを伝えました。
すると、先輩は
「足浴がうれしかったのはあると思うよ。でも、その言葉の感じでは違う意味をあると思う。あなたは患者さんのためを思った個別の看護として足浴を実施したんでしょ。その姿勢が相手にも伝わったんじゃないかな。普段、看護ができていないと言っているけど、看護ができているかどうかを決めるのは自分じゃなくて患者さん。患者さんからそのような言葉をもらえたなら、看護をできている証拠だよ。」
これを言われて私はハッとしました。
たしかに、看護ができていないと自分では思っていましたが、それができたかどうかの判断する方法なんてありません。
全てのケアは患者さんのためであり、ケアの効果は患者から返ってくるのです。
看護ができているかどうかは患者さんが返してくれる。
これを知ってからは、自分の行っていた看護は間違っていなかったと自信を持てるようになりました。
まとめ
1年目は、自分の看護に自信がないことが多いと思います。
しかし、看護ができているかどうかを評価するのは自分ではなく患者さんです。
私自身も、先輩からはできていないと言われ続けたため自信がありませんでした。
それでも、看護を行っている患者さんから「ありがとう」と自分の看護を認められることで自信になりました。
また、看護に正解はありません。
これからも、患者さんのことを考えて看護を実施したいです!
ありがとうございました。
よんくれ
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